希望のカタチ Vol.3 ヘア&メイクアップアーティスト Haruka Tazaki

Interview




目の前の人の輝く姿が
自分自身の幸せになる

メイクアップアーティストとして国内外で活躍する傍ら、世界中を旅しながら社会活動を続けるHaruka Tazakiさん。幾度となく人生の岐路に立たされ、すべてを手放すような経験を重ねながらもポジティブに前を向き続け、自分の心に正直な選択をすることで、人生を“我がまま”に生きてきたHarukaさんが見つけた希望のカタチとは。

Profile
Haruka Tazaki

2007年からニューヨークでメイクアップアーティストとしてキャリアをスタートし、2014年に帰国。拠点を日本に移し、国内外のファッション誌でのシューティングをはじめ、セレブリティのメイクも数多く担当。センスとテクニック溢れるメイクで、女優やモデルからの指名も多い。

ニューヨークの競争社会と、
人生最大の挫折

現在のライフスタイルや働き方を教えてください。

1年の半分は国内で広告や雑誌、俳優さんのメイクのお仕事をして、残りは世界を旅しながら社会活動をする生活を続けています。フェムケアブランドのディレクションもしていて、最近では世界の性に関する事情や社会問題を若い世代に伝える講演活動も計画しています。

もともと旅がお好きだったのですか?

きっかけは19歳のL.A.留学で、それ以来色々な場所を旅してきました。23歳の頃、メイクの学校に通う資金を貯めるために一度帰国したのですが、その時に見つけた世界一周クルーズに貯金をつぎ込んで乗ってしまって(笑)。20カ国ほどを回る中で目に入るものすべてが宝物に見えて、その好奇心とワクワク感がいまも私の原動力になっています。

メイクの仕事のどんなところに惹かれたのですか?

もともと絵を描くことは好きだったのですが、仕事にするなら誰かを幸せにできることがしたいと思っていて。メイクで綺麗になると人は自信が持てるじゃないですか。もともとギャルだった私はメイクに時間をかけるタイプで、スッピンでは外に出られないような人間だったので、そのことがよくわかっていました。たまたまL.A.にいた頃のルームメイトがメイクアップアーティストで、誰かに自信を与えられるメイクを仕事にできたら最高だと思ったんです。

ニューヨークでキャリアをスタートさせたのはなぜですか?

日本に帰る前にニューヨークへ遊びに行ったのですが、地下鉄の駅から出た瞬間、「This is my city!」と思えたんです。メイクの学校を出てからアシスタントを始めたのですが、凄まじい競争社会でしたね。人種差別もあったし、師匠にも毎日怒鳴られ、重いスーツケースを引きずりながら泣いて帰っては、「ここで辞めたら負けだ」と思って現場に向かう日々でした。

その頃にHarukaさんの支えになっていたものは?

この地で夢を叶えるという決意と意地でしたね。実績はなかったけれど、ショーのバックステージに入れば「私のアイラインが一番」という変な自信があって(笑)。続けていれば絶対に芽が出ると過信に近いレベルで信じていましたね。

その後、日本に活動の拠点を移された経緯を教えて下さい。

戻るつもりはなかったんです。アーティストビザを取得して本格的に動き出そうとしていた矢先、突然ニューヨークに戻れない状況になってしまって。家も恋人も銀行口座もすべてニューヨークにあって、3日後には仕事も控えているのにどうにもならなくて、結局そのまま、強制的に帰国することになりました。あまりにショックで数ヶ月メイク道具を開けられなかったですね。

苦しいのは、
人生を上っている証拠

日本での再スタートは順調でしたか?

仕事は増えていったのですが、やがて「このまま同じことを続けていくのかな?」と思い始めたんです。当時は本当に忙しくて、大好きな旅に行く時間がまったくなかったんですよ。ありがたいことなのですが、自分の人生をまったく楽しんでいないなと。そんな折に婚約したので、メイクの仕事を辞めて新しい人生をスタートさせようかなと考え始めたんです。ちょうどその頃にコロナ禍が始まり仕事が完全にストップしたのですが、多くの人が困っている時にメイクの仕事が何の役にも立たないように思えてしまい、「いままで何を目指していたんだろう」と凄く悩みました。

メイクの仕事に注いできた情熱が冷めてしまったと。

はい。コロナ禍で時間もあったので、環境問題や貧困、女性蔑視といった社会課題を調べるようになったんです。そこから、毎日のように頼んでいたデリバリーのゴミを見て罪悪感を覚えるようになり、それが社会課題を自分の目で見に行きたいという欲求に変わっていきました。その後、結婚に向けてアメリカへの移住を準備していたところ、出国3週間前にすべてが白紙になってしまったんです。段ボールだらけの家で頭が真っ白になりましたが、これだけ心にスペースが空いたなら、一番やりたいことをやろうと世界一周の旅に出ることにしたんです。

普通なら絶望して立ち止まってしまうような場面だと思います。

私の人生は10年に一度くらいすべてがひっくり返る大きな出来事が起きるんです(笑)。でも、最大のピンチは最大のチャンスでもあると思っていて、これだけ落ちたんだから、その分高くジャンプできるという確信があるんです。山を登っている時って息が切れますよね。でも、苦しいのは坂を上っているからで、決して下がっているわけじゃないんですよね。そう思うと「なんでもかかってこい!」とポジティブになれる。実際、自分の下した決断を後悔しないように生きることで、私の人生はどんどん良くなっているんです。

そうした壁にぶつかった時に、未来のヴィジョンが変わってしまうことは怖くありませんか?

人生の計画を細かく定める人もいますが、私はあえて具体的なことは決めずに、ワクワクすること、やりたいことを選択する人生を歩んできました。「この道だ」と最初に決めてしまうと、新しい可能性に出合った時にそちらに行けなくなるじゃないですか。選択肢を狭めたくないので、あえて決めないようにしているんです。

旅先で出会った子供からもらった手紙を読み返す。

自分の心に素直に、
“我がまま”に生きる

世界一周の旅は、Harukaさんに何をもたらしましたか?

生き方の選択肢は無限大だと教えてもらいましたね。1年間で約30カ国をまわったのですが、旅で出会う人たちは育った環境も、考え方も、生き方もすべてがちがって、それが私の価値観をアップデートしてくれるんです。同時に、自分の街から出られない人たちが世界中にたくさんいる中で、自分がいかに恵まれているかということも強く感じました。旅で得たエネルギーを社会に返していくこと、自分が持っているものをすべて使い切ることがこれからのミッションだと旅の間に決意しました。

特に印象に残っている出来事を聞かせてください。

タンザニアでの女性との出会いですね。ボランティアで行った孤児院出身の子なのですが、1年前に再会した時には首都の学校で生徒会長になっていました。彼女は社会活動の奨励金として学校から200ドルを受け取ったのですが、その全額を使って地元のストリートチルドレン70人にご飯を食べさせたんです。「自分も苦しい思いをしたから、この子たちには同じ思いをさせたくない」と。私は彼女にはなれないと思ったし、これくらいの気持ちがないと本当の意味で人を支援することはできないのだと学ばせてもらいました。

旅の最中、メイクの仕事を続けることについてはどう考えていましたか?

続けていこうと思いましたね。旅を通じて、私はマザー・テレサにはなれないと感じたんです。自分の中には「幸せのカップ」があって、それがいっぱいになって溢れ出した分でしか、私は人を幸せにすることはできないと思ったんです。支援活動だけをしていると自分がすっからかんになって、結局誰も助けられなくなる。仕事や旅、趣味のダイビングで自分の幸せのカップを満たすことが私には必要なんだと思いました。

まずは自分自身を大切にすることから始まるのですね。

本当にそう思います。その人の人生は、その人のものでしかないんです。周りの人は色々言うかもしれないけど、みんなもっと“我がまま”に生きていいと思うんですよ。それは自分勝手に生きて他人に迷惑をかけることではなくて、自分の心に正直に、素直に生きること。迷った時は、どちらを選ぶと自分の心が喜ぶかを基準にしていいと思うんです。そうした選択をしていくことで人生はもっと輝くし、自分が選んだものに不正解なんてない。自分が本当に大切にしたいものというのは、毎日同じルーティンを繰り返していると見えづらくなるんですよね。そういう時こそ物事を別の角度から見ることが大事だし、私にとってはそれが旅なんです。

旅先で得た経験は、趣味である絵のインスピレーションに。

ふたつの出会いが
教えてくれたメイクの力

旅を経て、メイクの仕事への向き合い方は変わりましたか?

感謝の気持ちが1000倍くらいになりました(笑)。半年も旅に出るわがままな私を待っていてくださる方がいる、そのありがたさを噛み締めて仕事をするようになりました。前に、タンザニアのフリースクールで子どもたちにメイクを教える機会があったのですが、お化粧品に一生触れる機会がないかもしれない女の子たちの表情や話し方が一瞬で自信に満ちたものに変わったんです。それまで私は広告や雑誌など商業的な世界で仕事をしてきたのですが、ある時期から「誰かを幸せにしたいと思ってこの仕事を志したはずなのに、自分は本当に誰かを幸せにできているんだろうか」と自問するようになりました。いままでは「自分がどう表現したいか」という意識が強かったのですが、フリースクールでの経験を通じて、誰かの中に幸せや希望が広がっていくことが、自分自身の希望になると感じられたんです。

プロとしての肩書きを外した時に、メイクの力を最も実感できたのですね。

そうですね。先日、余命半年の15歳の女の子にメイクをする機会がありました。メイクを誰かにしてもらったことがなかった子で、抗がん剤の影響で顔も腫れてしまっていたのですが、メイクをしている途中から嬉しくて涙が止まらない様子で、私も泣きながらメイクをしました。こんなに泣きながら喜んでもらえたことはなかったし、メイクの力や技術は私の財産だなと思えた瞬間でした。お化粧はその人自身を表し、自信を与えてくれるもの。流行のメイクも良いけれど、あなた自身の心情やなりたい姿を表現する武器としてメイクがあってほしい。それを伝えていくことが私の役目だと思っています。

最後に、Harukaさんのように“我がまま”に、自分自身の人生を生きるためのメッセージをお願いします。

いまの社会は、自分にも他人にも「ラベル」を貼って決めつけてしまう場面が多いと思うんですよね。そこから外れる人が居づらくなってしまうこともある。私も子どもの頃は、「なぜ人と同じことをしないといけないの?」と息苦しさを感じていました。世間の常識だったり、色々な理由をつけて何でもラベル付けをしていくと、規制の中でしか生きられない社会になってしまうと思うんです。でも、人と違うことはダメなことではなく、その人の個性。「なるほど、こういう考え方もあるんだ」と受け入れること、決めつけないことが自分自身の解放になるし、一人ひとりがもっとのびのび生きられる社会にもつながると思っています。

取材・文:原田 優輝  撮影:鈴木 陽介